トップ  > (ブログ)醸し人の覚え書  > 第10回 比翼鶴と蒲池家

第10回 比翼鶴と蒲池家

【醸し人の覚え書】
今回は先祖蒲池家について書いてみます。
私(二ノ宮)の祖先は蒲池氏といって、戦国時代に筑後十五城の筆頭として柳川を治めていた武将でした。鎌倉幕府以降、筑後国の守護職は大友氏大友氏が守護する筑後国を実質的に治めた15の国人領主を筑後十五城と呼びます。

蒲池氏にはロマンチックな逸話が残されています。

蒲池氏は嵯峨源氏の流れを汲み、鎌倉時代には筑後国の三瀦〜柳川周辺を代々治める地頭職でした。しかし、ちょうど室町幕府が始まった頃、蒲池家にはお姫様しかおらず、女地頭として頑張っていました。当主の蒲池武久が南北朝の戦いで亡くなっていたからです。女地頭であるお姫様はこのままでは家が廃れてしまうと思い悩み神仏にすがる毎日をおくっていました。ある夜、不思議な夢を見て高良山に参拝します。

宇都宮久憲下野国の宇都宮氏の流れを汲む人物で祖父貞久の代に九州に下向し瀬高の辺りを治めていました。同じ頃、この久憲も不思議な夢を見て高良山へ参拝します。ここで、偶然二人が出会ってお互いに夢のお告げの話をした所、明神様の加護に違いないと、不思議な縁で結ばれる事となりました。それでこの久憲が婿養子として蒲池の家を継いでくれたので蒲池家は滅ばずに家を残す事が出来ました、という話が蒲池物語に記されています。

蒲池氏はこの蒲池久憲を初代として蒲池の崇久寺に祀られています。崇久寺のそばに蒲池城があり、五代目の治久のころ柳川に出城を造ります。この出城を七代目の鑑盛柳川城として改築し居城とします。八代目が蒲池鎮漣、蒲池家最後のお殿様になります。鎮漣の奥さんは玉鶴姫。玉鶴姫のお父さんが肥前の熊、龍造寺隆信です。結局鎮漣は義理のお父さんである竜造寺隆信によりだまし討ちにあい蒲池家は滅んでしまいます。

残った鎮漣の子の一人、久鎮(統虎丸)が城島のこの卍の板碑のあるとこまで逃げのびて子孫を伝える事になります。この蒲池氏が使用した家紋の一つが「比翼鶴」。私はこの蒲池家最後の武将鎮漣から数えて14代目、初代久憲から数えると21代目の子孫になります。
初代、久憲の宇都宮家をたどると藤原家、中臣鎌足に繋がります。大化の改新の中臣鎌足です。その息子が藤原不比等で日本の律令制を作った人物です。本格焼酎の銘柄「不比等」は、この藤原不比等から名前を頂きました。


蒲池の崇久寺では3年に1度、蒲池家所縁の縁者が集まり先祖供養を行っています。今年も11月15日に無事供養を行い、先祖の話や昔話に華を咲かせました。崇久寺の黒板に素敵な言葉が書かれていました。
「限りなき 祖先を受けて 限りなき 子孫に伝う 我が命かな」
祖先の事を親から子に代々伝えていく、これも醸しだなと思います。


平成26年11月27日


比翼鶴酒造のFacebookページに「いいね!」を押して頂くとブログの更新をお知らせします。
このブログは比翼鶴酒造株式会社 常務取締役 二ノ宮啓輔の個人の意見や考えを書いております。

at 2014/11/27 06:17:59